上司(のような人)と以下のような会話があり、(広報にはまだ言っていないけど)いちおう少しだけ認められることとなりました。
「頼まれたんだけど、ブログやらない?」
自分、もうやってますけど。
「ああ、そう。じゃあそれで」
クソみたいな内容ですけどいいですか?
「クソみたいな内容でもいいよ」
クソみたいな内容でも良かった。
ハードルが下がったわけですが、下がりすぎて陥没したかもしれません。ハードル走でハードルの高さが0mならそれはメリットでしょうが、しかしもっと下がっていくと穴に足を取られる可能性だけではなく、一歩の間違いも死が見えるので、あながちメリットばかりと言えない気がする。
今回はタイムリーにオーストラリアでの行事に関する内容です。
第59次南極地域観測隊(JARE59)の本隊は11月27日に成田を出発後、オーストラリアのブリスベンを経由し、パースへと向かいます。パースからはバスでさらにフリーマントルへと向かい、ここには先に日本を出発していた観測船しらせが停泊しています。観測隊はここから南極へと出発するわけですが、これを書いている12月1日現在、未だ観測隊は港を出発しておりません。
これは何かトラブルがあっただとか、忘れ物をしただとかいうわけではなく(*1)、もともとの予定通りの行動です。
*1) ちなみにわたし個人としてはSDカードを忘れた。現地で買った。オーストラリア、物価高ない?
物資の積み込みや各種手続きのほかに、オーストラリアでの大きな行事としては、
- 現地日本人会の忘年会
- 日本人学校の見学会
- 艦上レセプション
の3つがあります……ありますが、1の忘年会については参加していないので「こういうのがある」という報告まで。
2の見学会についてですが、こちらは地元の日本人学校の小・中学生がしらせ内部を見学し、南極観測隊・しらせ乗員への質問コーナーを設けたのちに昼食を食べ、その後に日本人学校生徒の歌や踊りを見せてもらうという流れになっています。
わたしもこちらには途中から参加しました。ええ、はい、昼食からです。「餅が食えるよ」と言われて甲板に躍り出ました。「カレーもあるよ」とも言われました。カレーが美味い。主たる準備を行ってくれたしらせの方には感謝。
わたしは餅とカレーを食べるくらいしかやっていないのですが(*2)、生徒の踊りも見せてもらいました。子供達が歌ったり踊ったりしているのを見たり、感謝の言葉を聞いたりすると、日本の妻子を思い出して涙腺が緩みます。子どもいませんが。妻もいねぇ。くそうくそう。
*2) こういう場合、「何もやっていないのに」などというべきかもしれないが、今回食うだけ食っているので何もやっていないよりマイナスだ。
3の艦上レセプションですが、こちらはしらせの艦上に大使館の方などお世話になった現地の方々を招いて立食形式で食事会を行い、交流を深めるという内容になっています。こちらもメインの準備はしらせの方々によるものです。
隊員のひとりとして参加し、2の日本人学校見学会でも訪れてくれた日本人学校の先生や校長先生、オーストラリアの大学の先生、職業を聞いていないおじさん、どういう方なのかを聞き忘れたおじさん、たぶん偉い方なのだろうけど正体不明のおじさんなどと交流を深めることができました。
あと天麩羅に群がっていた女性おふたりへ。「お前の名前は覚えたからな」とおっしゃられましたが、わたしが剣道をやっていたのは小学生のときだけです。中高は体育と武道の授業だけなので忘れてください。ひぇっ、ご勘弁。
このようにオーストラリアでは支援してくださる方々と交流を行い、英気を養ったのちに南極地域へとようやく出航することになるわけです。
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