2018年4月18日水曜日

南極/オゾンホール


 隊員でこのブログの存在を知っている人に、ブログを更新しろと言われてしまいました。

 確かに振り返ってみると最近確かに更新頻度が落ちています。でも最近は朝夕の薄明観測も始まったし、AWSとラドン計の調整もしないといけないし、計算モデルは調子がよくおかしくなるし、ギターも練習しないとだし、ビリヤード大会(四つ玉; *1が始まってしまったし、サガフロ*2のエミリア編のラスボスが倒せないし(*3)でわりと忙しいし………。
*1) 8ボールのようなポケットではなく、穴のないテーブルを使うキャロムの一種。1回戦は30点先取で5回ファールしたけど最後に10点入れて勝った。対戦相手のコメント「理不尽」。
*2) PSのサガシリーズ第一弾。連携が導入され、うまく繋がると『飛燕ロケット剣ローリンヒット』『ジャイアントプラズマスマ巻きスカッシュ』など意味不明の技が発生する。1997年のゲームだが最近になって連携数が更新され、最大41連携の記録ができた。Yahooニュースにもなったが、技名は『リヴァイヴァスライバベル水撃スープジャイアントロコ金剛カイザーブラスター陽子ロケット鬼バルカン破壊鉄下駄電束火炎プラズマ跳弾神速熱線放射ソニックディフレクト電撃濁流清流アル・三スカイ燕曲射短勁フラッシュライジングロザリオアル・十字塔無月真アル・羅刹掌』とのこと。詳しくは→「サガ・フロンティア」で“41連携”の発動が確認される 2分弱攻撃し続けて16万ダメージ - ねとらぼ
*3) これ書いている間に跳弾経由で連携して『跳弾払い散水』とか『跳弾エンド』でなんとかなった。

 相変わらずアカデミックさの欠片もないわたしは脳内サンディエゴな冒頭からスタートしましたが、今回はオゾンホールの話をしようと思います。


  1. オゾンホールとは
  2. オゾンホールの歴史
  3. これからのオゾンホール



1. オゾンホールとは


 オゾンホールは成層圏のオゾン(O3)が減少する現象です。

 まずオゾンO3の大気中での主な働きを見るために、オゾンの量と気温の鉛直分布を見てみることにします。


 上の図は米国標準大気[Atmosphere U.S.; 1]という、「とりあえず昨今の地球の大気はこんなふうになっているよ(*4)」というざっくらばんな大気状態をグラフにしたものです。図中、青が水蒸気量、橙がオゾン、緑が気圧、赤が気温を示します。それぞれの線をひとつの図で表すために、値の倍率を一部変更しています。
*4)ただし1976年のものなので、二酸化炭素の量が現在よりもずっと少なかったりしますが、まぁ今回はそこは関係ないのでご愛嬌。

 グラフを見てわかるとおり、オゾンは高度10kmから60kmあたりに分布しており、40kmより少し下あたりで最大値があることがわかります。同時に、気温もこの付近で極大になっています。

 オゾンと気温の関係から推定できるとおり、オゾンの大気中での主な効果は、光を吸収して上空の大気(特に成層圏といわれる11-50kmくらいの高度)を温めることです。

 人間は波長の違いによって、光を色として認識します。具体的には、波長が長いほど赤く、波長が短いほど紫として認識します。紫色に認識できる波長よりさらに短い波長となると、紫外線(紫よりもさらに外側の)と呼ばれる人間の認識できない光となります。特にオゾンによる吸収が強いのはこの紫外線の領域で、具体的には0.28μm(0.28の千分の一mm)以下の光です。
 光は波長が短いほどエネルギーが高いため人体にとって危険ですが、オゾンが存在していることでそれらを吸収し、その危険性が抑えられているというわけです。オゾンは光を吸収してエネルギーを得て、大気を温めます。

 余談ですが、グラフのオゾン濃度の最大高度と気温の極大高度は近いですが、一致しないことに気づいた方は良い着眼点を持っています。オゾンが大量にある場所ほど、オゾンが紫外線を吸収するのでより温めそうですが、そうはなっていません。
 この原因は、オゾン濃度極大高度ではオゾンは多いですが、吸収される紫外線は少なくなっていることです。光は上空から降り注ぐため、オゾンが少ない領域で先にそれらを吸収してしまえば、それより下の領域でオゾンが多くともそれほど温度は上がらないというわけです。

 このように紫外線を吸収し、上空の大気を温めるという重要な役割を担うオゾンですが、1900年代後半に、特に南極上空でその量が減少するという現象が観測されました。これがすなわち、オゾンホールです。


2. オゾンホールの歴史


 オゾンホールは1900年代後半に発見されました。オゾンホール形成の原因となるオゾンの破壊は、冷媒などに用いられていたフロンなどから作り出される物質が原因であるとされています。

 ではこのオゾンホールは誰によって発見されたかというと、実は日本人だったといわれているようなそうでもないような。
 なんかやけに曖昧な表現ですが、学生時代、

教授「オゾンホールを発見したのは日本の人なんだけど云々」
管理人「ほーん(どうでもいい)」

 みたいなやりとりがあったことは覚えているが細かいことはあんまり興味がないので覚えていない。
 
 さて、実際どうだったかと調べてみると、忠鉢さんという方が発見したとされています。

→気象庁気象研究所|過去の研究成果|オゾンホールの発見

 それまでいろんな国でオゾンホール(あるいはその余波)のようなものは観測されていたのですが、データの異常と感じられて捨てられていました。しかし南極昭和基地で観測をしていた忠鉢さんは異常とせずにギリシャの学会で発表。論文にはせず、論文化したのは他国の研究者だという半端な結果に終わっています。

 では認識としてはどうかというと、たとえば(引用として適切かどうかというとアレなのだけれど面倒だから)日本のWikipediaから引っ張ってくると、

人工衛星の映像が、まるで穴があいたように見えることからオゾンホールと呼ばれるようになった。南極上空のオゾンが毎年春期に減少することの発見は、ジョセフ・ファーマン、ブライアン・ガードナー、ジョナサン・シャンクリンの1985年の論文 (Farman et al. 1985 "Large losses of total ozone in Antarctica reveals seasonal ClOx/NOx interaction." Nature, 315, 207-210) によって発表されているが、最初の報告は1983年12月の極域気水圏シンポジウムおよび翌1984年ギリシャで開かれたオゾンシンポジウムでの、気象庁気象研究所(当時)の忠鉢繁らによる日本の南極昭和基地の観測データの国際発表である。
その後、ストラスキーらが人工衛星ニンバス7号の解析映像を発表し(Stolarski et al. 1986 "Nimbus 7 satellite mesurements of the spring time Antarctic ozone decrease" Nature, 322, 808-811)、オゾンホールがマスメディアを通じて一般に認知されるようになった。
オゾンホール - Wikipedia(最終更新 2017年10月29日 (日) 20:43)より

 とあり、いちおう日本では忠鉢さんが先駆けて発表したというのは認識されていることになります。
 では外国ではどうかというと、

南極の「オゾンホール」は英国南極調査隊のFarman、Gardiner、およびShanklinによって発見され、科学者たちに衝撃を与えた(最初の雑誌掲載は1985年5月のNature誌である[93])。これは極域のオゾン量が予想よりも遥かに減少していたためである[35]。衛星観測では南極点周辺でオゾンが大規模に減少していることを示された。しかし当初はデータ品質検証アルゴリズムが不十分であると考えられ、このオゾン減少は取り除かれていた(オゾン量が小さくなるのはエラーと考えられ、除外されていたのである)。現地観測によってオゾン量減少が捉えられて[60]からようやく生データが再検証され、オゾンホールは衛星データによって観測されるようになったのである。計算プログラムがエラーと想定した除外を行わずに再計算してみると、オゾンホールは1976年からすでに存在していた[94]。
The discovery of the Antarctic "ozone hole" by British Antarctic Survey scientists Farman, Gardiner and Shanklin (first reported in a paper in Nature in May 1985[93]) came as a shock to the scientific community, because the observed decline in polar ozone was far larger than anyone had anticipated.[35] Satellite measurements showing massive depletion of ozone around the south pole were becoming available at the same time. However, these were initially rejected as unreasonable by data quality control algorithms (they were filtered out as errors since the values were unexpectedly low); the ozone hole was detected only in satellite data when the raw data was reprocessed following evidence of ozone depletion in in situ observations.[60] When the software was rerun without the flags, the ozone hole was seen as far back as 1976.[94]
Ozone depletion - Wikipedia(This page was last edited on 6 April 2018, at 18:57.)日本語は管理人訳。

 となっており、英Wikipediaでは忠鉢/Chubachiという名前は一言も出てきません。
 まぁWikipediaに書かれている内容が一般の知見だというわけではないのですが(*5)、
*5) Wikipediaを書いているっていう人を見かけたことがないし。ゲームの攻略Wikiならともかく。最強リセマラランキングとかが載っていないほうの。

 ところで、英Wikiのほうに、

the ozone hole was detected only in satellite data when the raw data was reprocessed following evidence of ozone depletion in in situ observations.[60]

とあります。
 in situという慣用句が出てきますが、一般的にはたぶんあまり使われない表現だと思います。英和辞典を紐解いてみても、

in situとは
主な意味
本来の場所で、もとの位置に

というふうにしか書かれていませんが、地球物理学で"in situ"という表現が出てきたら、現地観測で、という意味になります。いや、本題にぜんぜん関係ないんだけど。

 話を戻します。上の文には[60]という引用番号が振ってありますが、これはReiner Grundmannさんという方が2001年に書いた『Transnational Environmental Policy : the ozone layer』という本を参考にしましたよ、ということのようです。Google Scholarという論文の検索・引用に使えるサイトで上のタイトルを調べてみると、『Transnational environmental policy: Reconstructing ozone』[Grundmann 2002; 2]という本がヒットしました。なんか微妙にタイトルが違う&年がちょっと違うのが気になりますが、うーむ、改訂したのだろうか、悩んでいても仕方がないので、同じ作者だしまぁいいかということでちょっと引用してみると、オゾン層の発見については以下のように書いてあります。

英国チームが結果を発表する前に日本の研究者たちが南極のオゾンの異常を発見した。だが彼らは国際的な大気研究コミュニティからは分離していたため、国際社会に警鐘を与えることはなかった。それはわずか11ヶ月のデータだった。日本人グループは1984年にギリシャで行われた国際学会でポスター発表を行い、これはFarmanたちの発表よりも1年早かった。結果は有名な雑誌には発表されることはなかったが、無名のところで出版された(Chubachi 1984)。彼らが自分たちの結果の重要性を理解していなかったと言ってしまうのは言い過ぎではないだろう。10月の並外れた値が観測されていたのだ。だがその結果は同じ分野の研究者にも世界にもまったく関心をもたらさなかった。日本人たちは南極でオゾンを計測し、確かに異常なオゾン量を観測したのだ。彼らはギリシャの学会でポスター発表をして、その結果はご存知の通りだ。誰も注意を払っていなかった。だがポスターで発表したところで、どれだけの人が見てくれるだろう。誰も注意を払っていなかったのだ。観測していたはずの異常な値を。
Even before the British team published their results, a Japanese group of researchers had found abnormal ozone values in the Antarctic. However, because they were isolated from the rest of the international community of atmospheric researchers,
they did not and could not present their findings in a way that would have alarmed the world public. Their data contained only a time series of 11 months.
They presented them in 1984 during a poster session at an international scientific
ozone conference in Greece, one year before the publication of Farman’s results.
The results were not published in a major journal but in a rather obscure
outlet (Chubachi 1984). It seems no exaggeration to say that they did not realise
what they were measuring. They stressed the anomaly of an exceptional high
value in October (which occurred after the concentration had dropped to 240
DU). In other words: their framing did not catch the attention of their colleagues
nor of the world public. The Japanese were measuring ozone in their station in Antarctica. And they found abnormal ozone levels. They reported that in a meeting in Thessaloniki. They had a poster, and you know how people look at posters. Nobody really paid attention. They had abnormal values, so what?
Grundmann, R. (2002). Transnational environmental policy: Reconstructing ozone. Routledge.より。日本語は管理人意訳。

 というわけで「大事な発見はちゃんと発表しろよ」ということで、研究者としては身につまされる想いですね! でも英語とか苦手なの! 学生時代も「国語だけは異常にできる」って言われてたの! なんで理系に進んだんだ。


3. これからのオゾンホール


 経緯はともかくとしてオゾンホールは発見、それまで有用かつ無害だと思われていたフロンなどが地球環境に大きな影響を与えるということがわかり、規制が進みました。

 オゾンホールの発見から約35年。現在はいったいどうなっているかというと、2016年に"Emergence of healing in the Antarctic ozone layer"(「南極オゾン層の回復」)という論文がSusan Solomonという人物らによって発表されました[Solomon et al., 2016; 3]。

 この論文は、

図2のモデル計算の傾向比較から、9月に南極オゾン層の回復の兆しが見て取れる。これは対流圏のオゾン破壊物質の減少事実と矛盾しない。傾向がはっきりするまでは時間を要し、対流圏から成層圏への物質輸送による時間差もあるが、徐々に極域のオゾンは徐々に回復の傾向を示している。
The comparisons of the modeled trend profiles in Fig. 2 provide an important fingerprint of the onset of healing of the Antarctic ozone layer in September. This is consistent with the basic understanding that re- ductions in ozone-depleting substances in the troposphere will lead to a healing of polar ozone that emerges over time, with lags due to the transport time from the troposphere to the stratosphere, along with the time required for chemically driven trends to become significant relative to dynamical and volcanic variability.
Solomon et al. (2016)より。和文は管理人意訳。

とある通り、通常、オゾンホールが最も大きくなる10月ではなく、発生し始める9月に着目することでオゾンホールの回復傾向を示した論文です。
 オゾンホールの回復傾向について言及されたのはこの論文が初めてではないのですが、「Solomonが発表した」という点でこの論文は他とは一線を画します。

 Solomonがどういう人かというのを説明するためには、IPCCについて説明する必要があります。
 IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change=気候変動に関する政府間パネル)というのは数年ごとにおえらい学者が集まってもにょもにょ会議を行いつつ、気候変動の評価をする組織です。もにょもにょと会議をした結果は評価報告書としてまとめられるのですが、これは各国の政府に大きな影響力を持ちます。

→IPCCとは? | IPCC 第5次評価報告書 特設ページ

 一部は日本語化され、わかりやすい形にまとめられているので見てみると気候変動の現在がわかりやすいと思います。
 IPCCの最新の評価報告書は2013年の第5次ですが、Solomonはその前の第4次ではグループ1の共同議長を務めています。ようは四天王みたいなものです。「ヒャッハー、オゾンホールくらいぶっ潰してやるゼェ!」という狂戦士タイプでしょう。いつの間にかいなくなっていて、冷静軍師タイプに「奴ならもう出発しました」とか言われています。ソロモンなので悪魔を操って戦うとかそういう人だと思います。たぶん(*6)。
*6) 知らんけど。

 そんなSolomonが「オゾンホールが回復傾向に入った」と発表したので、この論文は大きなインパクトがありました(*7)。
*7) 個人的には論文読んで、この段階ではどうなんだろうなー、と思ったけど。うーむ。 

 オゾン破壊物質を減らしている以上は徐々に回復傾向にはあるわけで、オゾンホールの回復は時間の問題でしょう。環境問題への対処が上手く行っているということで、これ自体は喜ぶべきことです。

 しかしながら、実はこのオゾンの回復が地球温暖化に影響を与える可能性があったりするのですが、この話はまたの機会に。


 ちなみにオゾンは空の青さにも(特に陽が沈んでから)関係したりしますが、こちらもまたの機会にでも。




参考文献
[1] Atmosphere, U. S. (1976). Standard atmosphere. NOAA-S/T76-1562.
[2] Grundmann, R. (2002). Transnational environmental policy: Reconstructing ozone. Routledge.
[3] Solomon, S., Ivy, D. J., Kinnison, D., Mills, M. J., Neely, R. R., & Schmidt, A. (2016). Emergence of healing in the Antarctic ozone layer. Science, aae0061.

2018年4月8日日曜日

観測隊/南極ごはん


 今月誕生日だったので、誕生日会の罰ゲームでローションをぶちまけられネトネトになりました

 な……何を言ってるのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった……。
 頭がどうにかなりそうだった……。
 南極事業だとか誕生日会だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。
 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。

 というわけで誕生日会罰ゲームでしたが、本当の誕生日まではちょっとだけ日があるのでまだギリギリ二十代です。ギリ。あと数日は。ギリ。まだいける。



 あと桜に短冊が吊されていたのですが、なんか違う儀式と勘違いしていませんか(何割かこのブログの存続を揺るがしそうな短冊があったため切り取っています)。

 さて、今回の誕生日会は兼花見で、ラーメン、寿司、唐揚げ、おでん、その他つまみなどが出てきて舌鼓を打ったので、本記事では南極行動中の食事について書こうかと思います。

 南極地域観測隊で得ることが可能な食事を大きく分けると、以下のようになります。


  • 砕氷船しらせ
    • しらせでの食事
    • 個人持ち込み・免税品
    • 自販機
  • 昭和基地夏期間
    • 一夏での食事
    • 中間食
    • 野外糧食
  • 昭和基地越冬期間期間
    • 管理棟での食事
    • DEV倉庫
    • 喫茶・バー


砕氷船しらせ

-しらせの食事


 砕氷船しらせでの朝・昼・夕の食事はしらせ乗船の海上自衛隊員が調理したものが基本となります。海上自衛隊の領域は観測隊とは別なので、具体的にどのような管理になっているかはわかりませんが、調理専門の自衛隊員がいるというよりは、持ち回りで調理の当番があるようです。

 自衛隊の食事といえば糧食レーションですが、基本的に配給される食事は普通の食事です。ただし以下のような特殊な規則性もあります。
  • 水曜日 - 朝にパン
  • 金曜日 - カレー
  • 九のつく日 - 肉が出る
海上自衛隊といえば金曜日にカレーは有名かと思います。曜日感覚をなくさないようにするための慣習と聞いた覚えもありますが、昨日何食べたか思い出せないのにカレー食べたくらいでは余裕で曜日くらい忘れます。

 水曜日のパン食と九のつく日に肉は何が由来なのかわかりませんが、もしかすると海上自衛隊ではなくしらせ特有の文化かもしれません。


 餅つきやクリスマス、正月といったイベント時などはそれに合わせておせちなどの季節感ある食事も振る舞われます。また、地方の伝統料理が出てくる場合もあり、その際は艦内放送でその説明がなされたりもします。



-個人持ち込み・免税品


 食料品や飲料の個人持ち込みは可能で、おやつや酒、そのつまみとして飲食可能です。ただし観測隊はオーストラリア経由でしらせに乗船しますが、オーストラリアは食料品の持ち込みが非常に厳しいため、空路での食料持ち込みは基本的にできないと思った方が良いでしょう。オーストラリアに到着してからの購入も可能です。フリーマントルではリトルクリーチャーというビールが有名。


 また、国立極地研究所経由で免税品をあらかじめ購入しておくこともできます。免税品として購入できる物品の種類は主に酒・ソフトドリンク・菓子・カップ麺といったところです。これらの品々は全体にするとあまりに大量なので、全員の作業で配分されます。



-自販機


 しらせには自販機があり、日本円にて購入が可能です。ラインナップは飲料のみで、サービスエリアにあるような食物の自販機はありません。ちなみに賞味期限はわりと怪しいです。





昭和基地夏期間

-一夏での食事


 12月終わりのしらせ昭和基地到着から1月末までの夏期間の間、しらせで新たにやってきた隊は第一夏宿舎(一夏)で食事をとります。このときの食事は砕氷船しらせの食事と基本的に同じで、観測隊の調理担当ではなく、支援に来ている自衛隊員が調理を行います。材料はしらせから持ち込んでいるものなので、しらせ滞在時と大きくは変わりません。

-中間食


 夏期間の作業が開始されるようになると導入されるのが「中間食」という概念です。簡単に言い換えればおやつですが、いわゆるおやつと違うのは15時だけではなく、10時ごろにもとるということです。

 内容は菓子パンと缶飲料などで、まさしくおやつと呼ぶに相応しいものですが、夏期間の間は設営(建設や建築)作業に追われる日々が続くため、肉体疲労を癒してくれる中間食は非常に重要です。

-野外糧食


 夏にのみ限らないのですが、仕事によっては昭和基地に着いてからは基地外で活動する機会があります。南極にはコンビニが(たぶん)なく、食べられる作物は生えておらず、基本的に狩猟もできないため、野外に出るなら食料を持っていく必要があります。


 ドームふじなどの長距離に旅行する場合はまた別ですが、通常の夏期間の旅行の場合は、昭和基地到着前の糧食配布日にあらかじめ配られた糧食をやりくりしていくことになります。数日ならともかく、数週間の行程ともなるとその食料はダンボールで数十個となり、運搬するだけでも大変です


 冷蔵・冷凍品も配布されますが、そのような品物は船内の冷蔵庫に入れておいて複数回に分けて運搬するか、雪の中に埋めておいて保存する必要があります。




昭和基地越冬期間


-管理棟での食事


 夏隊が帰還し、越冬隊だけが昭和基地に残されたあと、隊員たちは管理棟という総合施設に入居することになり、食事もそこでとるようになります。管理棟二階の食堂でとる朝昼夕の食事は観測隊調理担当が作るもので、比較するものでもありませんが、夏時期に比べると豪華でバリエーション豊かな食卓となります。


 またしらせ乗船時や夏時期は食事中に酒を飲むことができませんでした(制限されているというよりは、単に食事に出されない)が、越冬期間に入ってからは食堂の冷蔵庫に入っている酒を自由に飲むことができます。酒類およびソフトドリンクは倉庫棟大型冷蔵庫に保管されていて、毎日の当直が倉庫棟冷蔵庫から食堂冷蔵庫へと運びこみます。


-DEV倉庫


 欲に魅せられし闇の眷属たちの餌場——それがDEVデヴ倉庫です。


 DEV倉庫には菓子類やカップ麺の類が収められており、「冬来たる。寒さには脂肪を」を標語に掲げる一族が徘徊しています。調理担当によって管理されていて、開封されているダンボールの中のものは自由に取って良いことになっています。だいたい二、三週間程度の周期で新たなダンボールが開封されるようです。


 一度に開けられるダンボールは十箱程度ですが、その内容物は三日と経たずに九割以上が「彼ら」の胃袋の中に収まってしまうことがこれまでの観測で確認されています。ただし都こんぶなど、一部減りが早いものもあるようです。


-喫茶・バー


 生活係の喫茶係ではコーヒー、紅茶のほかに菓子を作り、提供しています。たとえば今週の喫茶では抹茶チョコパウンドケーキを作りました。作成する菓子の材料は調理から提供してもらい、支援のもとでの作成です。


 また、バーではビール、ワイン、日本酒、焼酎、ウィスキーなど種々様々な酒類とともに酒の肴となるつまみを作成して提供しています。




 

2018年4月6日金曜日

隊員/多目的アンテナ越冬隊員の場合


 この[隊員]ページ第59次南極地域観測隊の隊員のうち一部に個人的にインタビューをし、纏めたものです。個人の詳細については深く立ち入らず、内容は、

  • 南極での仕事 :何をするために南極に来たか
  • 南極に来た経緯:どうすれば南極に来られるか

に集約されています。


南極での仕事


 多目的アンテナの担当だが、現在は実質「単目的」アンテナで、Very Long Baseline Interferometer(VLBI; 超長基線電波干渉法)観測。VLBI観測は国際観測で他の観測地点と同時に超長距離の星から発せられる電波を観測し、各観測地点の位置の変化を測定する。昭和基地は南極での数少ない観測地点。

 また、本来の仕事とは関係ないが、通信や気水圏無人飛行機観測の手伝いも行う。ちなみに無人飛行機には特に必要ないが、飛行機免許を持っている。


南極に来た経緯


 多目的アンテナは毎年、勤めている会社から隊員を排出しており、社内公募。社内公募後の選定については詳しいことは話しにくい。

 社内公募は社内の人間なら誰でも応募できるものだが、無線の資格などが必要であった。今回は58次や60次と同時に採用されたため、2015年2月ごろに公募され、5月に決定された。

南極の感想


 寒い。






管理人より


 ここから越冬隊員の紹介です。全員紹介できたら良いなぁ。

 最初の紹介は多目的アンテナ隊員です。昔は「多」目的だったそうですが、現在はほぼ「単」目的アンテナ。昭和基地の東のほうに巨人用の黒いサッカーボールのようなものがあるのですが、それがアンテナのレドーム(覆い)です。
 現在唯一のアンテナの仕事であるVLBI観測は、本文中でも説明があるように、非常に遠くにある星から発せられる電波を地球のさまざまな地点でほぼ同時に受信することで、各観測地点の位置の変化を観測するミッションです。「ハワイは日本に徐々に近づいている」だなんて話を聞いたことがある読者の方もいらっしゃるかもしれませんが、そうしたことがわかるのもVLBI観測の恩恵です。詳しい説明については国土地理院のページで解説されているので、そちらをご覧ください。
→VLBIとは|国土地理院(http://www.gsi.go.jp/uchusokuchi/vlbi-about.html)

 この方は多目的アンテナとは無関係に通信業務などにも出張しているのですが、気水圏(大気などの観測系)の無人飛行機の観測も手伝ってもらっています。管理人が気水圏担当の研究員なのでお世話になっており、越冬隊員トップバッターなのはそういう理由だったりします。ありがたやありがたや。操縦も通信系統もやってもらっており、この方がいないともう飛ばせない有様です。

 本文中にもあるとおり、飛行機免許持ちとかいうわりと意味わからねぇスペックです。大学の頃にカナダで取ったそうで、国際民間航空機関(ICAO)という国際協定に入っている国なら、国土交通省に申請して免許書き換えをすればその国で飛行機を飛ばせるとのこと。
 なぜ飛行機免許を取得したのか訊いてみましたが、返答は「かっこいいから」でした。

 それと、この方もブログをやっています。最近よりもい関係の記事を書いて大量に訪問者が増えたとのことなので便乗して宣伝しておきます。

→第59次南極地域観測隊 越冬隊員の記録(http://jare59.starfree.jp/index.htm)


© この星を守るため
Maira Gall